医学部新設に関する一考察

文科省が30年ぶりに新設医学部の検討を始めるとのこと。

もし私立医学部の乱立になれば、学費の高い私立医学部に入学させることのできる家庭の子弟のみが入学することになるだろう。

結局は学費分を取り戻すために開業する、あるいは訴訟などの少ない科を選択する人が増え、
現在のような救急医療や産科医療、そして地方自治体の総合病院の医師不足は全く解消できない結果になるのは目に見える。


現在、目的別の医学部は「自治医科大学」「産業医科大学」「防衛医科大学」がある。
いずれも卒後の義務年限がある代わりに、学生の学費負担が少なくて済んでいる。

それでも「自治医科大学」は地方自治体ごとに合格者が決まるため、開業医の子弟は敬遠されがちである。
なぜなら「義務年限を免除するために、学費を違約金を払ってでも返還してしまう(返還できる)ので、結局僻地に従事しようとしない」ということらしい。

私立医学部は2000万〜5000万の学費がかかるが、それを支払う能力のある家庭の子弟だけが入ることができるような医学部の新設は反対である。


さらに、ある予備校では私立医学部専門のコース(費用1000万)も設置している。
このような所に通わせることのできる家庭の子弟が入ることのできるような医学部の新設ではなく、もし設置するとしたら、奨学金の充実や、卒後の目的をはっきりした医科大学の新設を検討していただきたい。

地方自治体では医師が不足しているのに、一方では集患がうまくいかず廃業する開業医もいるのだ。
このアンバランス。

また現在でさえ、医学部の先生方は「診療」「研究」そして「教育」を行わねばならず、非常に大変な状況である。まさに激務である。

さらに新しい医学部を新設するということは、その医学部教育に従事する教授、准教授、助教授・・・などのスタッフが必要なのだ。

それだけの人数が「現在のただでさえ崩壊しつつある医療」からマンパワーがそちらに取られてしまうことも忘れてはならない。

現在の医学部の学生の間では「訴訟が怖い」「訴訟される可能性のある科は行きたくない」という話がよく出ている。

患者の側にもきちんとした意識が必要だ。「コンビニ受診を控えること」に関しては一時期より啓蒙されてきているような気がする。

命に向き合うというのは「天命」もあり、「完璧」はないというのを皆がしっかりと受け入れなければならない。

医師は人間であり、神ではない。医師に神であることを求めるような現在の社会では、いくら医学部を増やそうとも現状の打破にはつながらない。

また現在の臨床研修医制度の導入により、医学部は6年ではなく研修期間も含めて考えなければならなくなっていると言っても過言ではない。

今までは「任侠」に近い旧医局体制があったからこそ、先輩は後輩に心血注いで指導をし、技術や医師としての姿を伝えてきたのだ。短期間に回る研修医に、そこまで指導できるだろうか。

どんなにかわいがっても、勤務時間が長くない科、訴訟の可能性の少ない科にまわる率が高い研修医に、医師のスキルや医師としてのあるべき姿をかつてほど熱心に伝えようとできるだろうか。

文科省が新しい医学部新設にむけての検討をするくらいなら、現在の臨床研修医制度を見直してほしい。

また、「文部省の犠牲となった」とすら言える「ゆとり教育」で育った子供と、その子供を育てた親世代が今どのようになっているかを胸に手を当てて考えてほしい。
なんでも自分の主張だけが正しく、思った通りにならないと破壊する「モンスター」が増殖したことをしっかりと考えてほしい。

地域医療に長年熱心に取り組んでいらした医師さえも、住民からのいやがらせや後を絶たないクレームによって医師をやめる決心をしてしまうほど社会はすさんできている。

また、「煽る報道」は絶対にやめてほしい。

医療の崩壊の大きな原因のひとつに、マスコミの興味本位な報道、安易な表現があるのを私は感じる。

医学部を新設するならば、きちんと目的を明確にした医学部にするべきであり、また、経済的にさなざまな事情を抱えていたとしても学ぶことのできる環境を整えるべきだ。

①現在の「臨床研修医制度」をもう一度見直し(厚労省)、
②社会一般の心のケアをしっかりできる義務教育・家庭教育を見直すべき(文科省
③マスコミは興味本位な安易な表現、本質も見据えない報道はやめること
が優先であると私は思う。

その上で「経済的にどのような状況の者でも入学することのできる」「目的のはっきりした医学部の新設」「学費の高い私立医学部の乱立は避ける」ことを検討してほしいものである。

医学部教育に関しての記事はこちら
「医学部教育への希望」
http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/24171652.html

「定員をふやすより留年率を下げるしっかりした教育を」
http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/27953614.html

「あなたは我が子を医師にしたいとおもいますか」
http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/20647188.html

「パワハラ」と誤解されないために

個人開業医は院長が男性でスタッフは全員女性というところが少なくない。



2000年ころから職場の人間関係などを原因とするPTSDうつ病と診断される傾向が多くなり、
それとともにパワーハラスメントに対する厳しい見方がマスコミや司法にみられるようになった。



最近ではマスコミの報道の仕方やネットの普及で労働者側も色々な知識を得ることが出来るようになり、特に雇用者の男性は女性従業員に対して以前にも増した細心の注意が必要となっている。



上司である院長からすれば叱咤激励や指導教育の一環のつもりでも、
公の場で処罰するような発言や人格否定は許されない。指導するにしてもタイミングや場所、
言葉を慎重に選ばないといけない時代になったのである。



最近ではむしろちょっとした冗談を言ったつもりなのにセクハラと呼ばれたという上司側の悩みや、
以前ならオヤジギャグで笑えたことも、今はパワハラ・セクハラと言われかねず、
怖くて女子社員とは口がきけないという人も実は多くなっている。



雇用者側はスタッフの士気とクリニックの評判を落とさないようにしたいと思いつつ、
パワハラに関しては法的定義がなく、基準もあいまいなため、過剰反応も引き起こしかねず、
対応に頭を痛めている院長も少なくない。



そのためスタッフに注意できない院長が「やめられると困るから」ということで、
奥様が院長とスタッフの板ばさみになり対応に苦戦している場合も多い。



日本産業カウンセラー協会調べによれば、いじめ・パワハラが起きた部署の兆候は次のとおりである。
•社員同士のコミュニケーションが少なかった
•管理職の指導力が欠如していた
•個人による業務が多かった
成果主義能力主義を導入した
•過重労働だった
•社員の入れ替わりが激しかった
•業績が悪化していた



さて、あなたのクリニックはどうであろうか。



これからは特に男性と女性の「思考の違い」を十分理解した上でコミュニケーションを取り、
雇用していくことが重要であろう。



そうしないと指導や励ましたつもりがいきなり「セクハラ」「パワハラ」と言われかねない。
特に最近は「打たれ弱い」「被害者意識が強い」人が多くなり、注意が必要だ。



男性は理論型の思考であるのに対し、女性は感情型の考えをする。
それゆえ女性と話をする場合はなお、感情に焦点を当てることを忘れてはいけない。



男性からすれば「結論は?」「何がいいたいの?」という形になってしまいがちだが、
女性のカンに触る言い方は極力避けるようにする努力が必要だ。



これは夫婦間でも言える(笑)。
特に理系人間である院長は、感情に焦点を当てるなどと言うことは視野に入っていないことも多い。
そのような院長の場合は特に女性スタッフとのやり取りの中には妻である奥様が上手に間に入ることが大事だ。



たとえば最近化粧が濃くなってきたスタッフに対し、院長はなかなか言うことができない。
言ってしまえば「セクハラ」と言われかねない恐れもある。



患者さんからのクレームでもあれば言いやすいのだが、実はなかなか難しいケースなのである。



そのよう時、同性である妻なら「医療機関はご高齢の方もいらっしゃるので、好印象を与えるナチュラルなお化粧の方があなたの良さをアピールできると思います。」とさりげなく言うことができよう。



実はこれは日ごろから、妻である奥様と同性の女性スタッフの間に信頼関係があるかどうかが鍵となる。



個人クリニックのスタッフは独身女性や若い女性も多い。
そのため、結婚、妊娠、出産はよくあることとなる。
雇用者側も労働者側もどのようにスムーズにその時期を乗り切っていくか。
セクハラと言われないように上手にこの時期を迎え、乗り切っていくことができるかどうかこそ、
同じ女性である妻の腕の見せ所かもしれない。



当院でも突然の結婚やおめでた婚などもあった。
おめでたがわかった後、出勤しながら無事に出産を迎えたスタッフもいたし、
途中で何度も休まなければならないスタッフもいた。



その都度その都度、姑のごとく心配していた私である。



まだ結婚前のスタッフがどうもつわり症状が出ているらしいと他のスタッフからの情報が入ることもあった。
このような時はどのように本人に聞くか、本当に難しいところだ。



「最近、体調がすぐれないようだけれども大丈夫?」など、さりげないタイミングから入っていったこともある。



「セクハラ」になるかならないか・・・細心の注意も必要だし、何よりも日ごろからコミュニケーションをとり、信頼関係を築いておくことが一番だろう。



信頼関係ができていれば、あらかじめ「もしおめでたいことがあれば、気兼ねなくお休みしていただけるように勤務のシフトを考えていくことも必要になりますので、他のスタッフには時期がくるまで伝えないでおくこともしますので、早目に相談してね」と日ごろからごく自然に話しておくこともできる。同姓の妻だからこそ言うことができることであろう。



このほかパワハラと言われないために、院長や先輩スタッフが、スタッフや新人に対して
繰り返し必要以上に大声で怒鳴ったり、厳しく叱責したりしていないか目を光らせることも大切だ。



「このように言われました」と言ってきたスタッフに「仕事なんだから我慢して」とか
「それくらいのことで凹んだら、業務ができない」などと言ってしまいがちだが、
まずは「感情に焦点を当てる」ことが大事だ。



「そう・・・それはショックだったでしょうね。」
「そのように言われたらショックだったでしょう。」



その時点でスタッフは「気持ちをわかってもらえた」と思うのである。特に感情型の女性であればなお。



また他の人のいる前で注意するとパワハラと言われかねないからと・・・と個人を呼んで注意をすることもある。



この場合は必ず第3者に同席してもらうことが大事だ。
なぜなら「密室で関係があった」などと言われたら、たとえそのような事実がなくても院長の立場は弱くなるからである。たいていは私が同席することとなる。



思いがけないところから「パワハラを受けた」「セクハラされた」と言われないように、特に女性スタッフを多く雇用している院長先生は、「感情に焦点を当てる」訓練をなさってはいかがだろうか。



まずは奥様のお話を10分間、ただただ聞いてほしい。
「はひふへほ」の術を使うのだ。



「は〜、なるほど」「ひえ〜?」「ふ〜ん」「へえ」「ほお」



決して途中で「で、結論は何?」「結論から先に言って」「何を言いたいの?」などと話をさえぎらないことだ。



女性の感情型の会話には、最初から結論がない場合も多い(笑)
それより、「話を聞いてもらえた」ということで、気持ちはスッキリするものだ。
身近な奥様相手にトレーニング^^



日ごろからのコミュニケーション、心の向き合わせ方で、「言われなきパワハラ」騒動はある程度回避できるのである。

救命病棟24時を見て、花輪先生の奥様のセリフにつぶやきシロー

さて、救命病棟24時を見たわけですが、納得できるてんこ盛りのせりふに「うん。そうそう。」などと「つぶやきシロー」(最近みかけておりませんが)になりながら見ておりました、はい。

前回と前々回で問題になった(←勝手に私が問題化^^;)「麻酔科は定時で帰れる」も、「オペが続いている限り、定時には帰れないですよ〜」の意見を反映したのか、「ウチの(強調)麻酔科は定時で帰れるし」にせりふが変わっていましたね。(細かいですか^^;?)

救命救急センターがあり、あれだけ重症の方が運ばれてくる病院でありながら、時間をすぎてのオペはやらないのでしょうか、あるいはオペが翌日までかかるということはないのでしょうか、というツッコミはやめておきましょう^^

救急車のサイレンの音に反応するとか、ナースコールの音が耳から離れないとか、家に帰ってもモニターの音が鳴り響くとか・・・それぞれに経験があるのではないでしょうか?夫もよくそれで飛び起きていました。

今回の主役は花輪先生だったように思います。特に私は花輪先生の奥様のせりふに、妙に納得してしまいました。

「大切なものを失うまで、それに気がつかない」
「プール、誕生日、遊園地に連れて行く約束をすっぽかしたのも一度や二度じゃない」

あー、私も言ったかもしれないな、このせりふ(汗)

私は夫の仕事を理解していると思っていました。夫の大変さ、責任の重さを十分わかっていながら、やはり一人で子育てやら家庭のこと一切を行っていくのが重くなって、つい口にしてしまったことがあったかもしれません。
(夫に確認したところ、記憶にないそうですが・・あまりに毎日言われすぎて覚えていないとか 笑?)

子供が生まれる前、夫は「行ってきます」と言って病院に行ったきり、メールも携帯もない時代。
夜になっても戻らず、ご飯を作って何度も暖めなおしをして、お風呂も何度も沸かしなおしをして(今のようにお風呂のタイマーや自動保温ができない時代)、いつ夫が帰ってきてもすぐにご飯とお風呂が用意できるようにしていました。

車の音がすると夫かと思って窓から外を見てみるのですが、夫ではありません。それを一晩に何度も何度も繰り返すわけです。

午前1時になっても2時になっても帰ってくることはなく、私はそのまま布団に入り、朝目が覚めると夫の帰ってきた形跡のない布団が敷かれたまま。。。。

患者さんが大変なんだ・・・(まさか浮気?)なんていうことを考えながら、毎日毎日を過ごしたものです。

帰ってきたと思えば、何科だろうとお互い助け合っていた時代で、急変処置で興奮した神経を抑えるために、他の科の先生とお酒を飲んで帰ってきたり・・・。夫婦の会話なんてありません。

実家の近くや、お店がたくさんある地域ならまだいいのです。地方の田舎の病院の、ぽつんと建っている官舎での生活。
夫だけが頼りなのに、夫が帰ってこないため、3日くらい誰とも口を利かなかったこともありました。(そうそう、口をきいたのがスーパーでレジで「またお越しくださいませ」と言われて「ありがとうございます」と答えたくらいだったり・・・。)

また、集合住宅形式の官舎では、奥さま同士の人間関係の渦に巻き込まれたり、共にランチ♪など、属さなければ何を言われるかわからない世界ということもありました。

子供が生まれてからも、疲労困憊の夫は、帰ってきたら「寝る」の人間の基本的生活を行うので精一杯。子供が「遊んで」と近寄って行っても「お父さんはお仕事で疲れているから、寝せておいてあげようね」と。

そのうち、夫なしで子どもと過ごす生活リズムが出来上がりました。

今でも思いだすと可哀相だったのが、今ほどシングルマザーのいなかった時代、幼稚園の運動会ではお父さんと競技に出て、最後はお父さんにおんぶしてゴールするというものがありました。

その当時、私は流産しかかっていて、夫の代わりに競技に出るのは無理。おじいちゃんおばあちゃんもいないため、夫になんとかその時間に間に合うように抜けてきてほしいと頼みました。(その日は日曜でした。)

しかし・・・夫は来ませんでした。お友達のお父さんに変わりをお願いし、よーいドンの笛が鳴っても、子供は誰と走ってよいか分からず、立ち止まっていました。

お友達のお父さんに手を引いてもらいなんとか走り出したものの、最後のゴール近くでは、周りでお父さんの背中におぶさって意気揚々としているお友達の中で、こわばったような泣きそうな表情をしておんぶされている子供の姿がありました。

夫は患者さんの件でどうしても抜けられなくなった・・・私も理解はしていました。けれども、理性と感情は一致することができませんでした。あの時の子供の顔は、今も頭から離れません。

家庭にパソコンも携帯もない時代のことですから、孤独感はかなりのものでした。子供の教育にのめり込んでいく奥様もいました。

そんな時代があるので、花輪先生ご夫妻の会話は、妙に納得して見ていました。今となっては懐かしい(・・懐かしくもない)思い出ですが・・・。
(…と、こういうことを書くと、さも自分のことのようにパクって書く人がいるわけですが・・・・)

体力の限界、視力の低下、管理職になったことでの軋轢などなど、もろもろの理由があって開業医となったわけですが、それでも世の中は「勤務医VS開業医」「お金儲けの開業医」などと煽りたいようですので、ちょっと違和感を感じるわけです。

昨日のストーリーの中には、救急医が全員一斉辞職と言う、鳥取大学医学部で実際にあったことも含まれていたように思います。

花輪先生がおっしゃっていた「救急は『休めない』「眠れない』『金にならない』」「人を救うために、自分の家庭を壊していたら世話ないな。」

小島先生がおっしゃっていた「治療や薬も大切だけど、人を思う心のあたたかさが、時として患者を救うことがある。」

澤井先生がおっしゃっていた「今、我が国の救急医療は崩壊寸前です。しかし、そんな環境の中でも人々を救おうと努力している人間たちがいます。彼らを動かしているものは、責任感と患者への思いです。彼らは今、この瞬間も、すべてを犠牲にして戦っているのです。」

このセリフに、昨日のストーリーのすべてが詰まっていたように思います。

3班制による新たな高度救命センターの体制つくり。期待しています。

乳幼児の医療費の窓口負担無料化には慎重な対応を

衆院選を前に、各党が公約を発表している。
中でも「医療費の窓口負担の無料化」に関しては、私は現実問題を考えて慎重にしていただきたいと思う。

うろうろ先生の記事もご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/30097125.html

特に就学前の子供の医療費の窓口負担の無料化に関しては、「良識ある親たち」だけではない日本の現代社会を見るたび、医療の現場がますますやせ細っていくのではないかと感じてしまう。

医師の疲弊などおかまいなしに「夜の方が待たなくて済むから」「(市町村助成で)どうせ無料だし」「昼は出かけていて(どこに?ときくと、友達と買い物に行ったとか・・)、連れてこられへんかった」と当たり前のように言う親が増えているのが現在の現場だ。

このような中での24時間の窓口の患者負担の無料化は医師の疲弊を助長させるだけだと思う。
「本来ならば昼に来院できるはずだったのに無料だからという勝手な考えで無駄に夜に受診しようとする患者さんの増加」が避けえないように思う。

あるいは、救急車の有料化案のように、重症度によって、患者負担分の発生もやむを得ないのではないかとさえ思うこともある。
(以前の記事はこちら^^ → http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/21898633.html


本当に治療が必要な患者さんへの医療が後手になる恐れもあるし、(しかも当直に関する医師の疲弊は新聞報道などですでに周知のことだと思うが)かえって医師の疲弊を助長するだけなのではないか。

また医療費の窓口負担の無料化にした場合、かつて奈良の病院で生活保護受給者の患者さんに無用な高価な検査(心臓カテーテル検査)を行ったように、中には道徳的に反する医療行為をする医師もいるかもしれない。

さらに窓口負担を無料にしたら、患者負担分はどこから賄われるのか。結局は税金のどの部分があてられるのか。その部分をしっかり公表してもらいたいものだ。


先日、1冊の「医療の本質をズバリ記した本」を見つけた。
臨床医である里見清一医師が書かれた「偽善の医療」(新潮出版)である。

『患者さまという偽善に満ちた呼称を役人が押し付けたことで、医者は患者に「買われる」サービス業にされた…』

里見氏は書かれている。
『多くの点で世の中に逆らい、世の「良識」に挑戦するような表現も目立つと思うが、確信犯とお考えいただいて結構である。』

どうしても歯にものが挟まったような本が多い中、「よくぞ言ってくださった」という内容と感じるのは私だけではないと思う。(私も世の「良識」に挑戦するような表現で書いていることがあるので 汗;)

そしてまた、最後のお話。
肺がんで化学療法の後、腰椎の転移のため強い腰痛があり車いすで来られた患者さんに、「先生、コーヒー飲むかい?」と差し出された缶コーヒーを受け取って缶をあけ、飲みながら患者さんの診察をなさった。

生暖かいコーヒーは里見先生の嫌いな味だったが、最後に患者さんに付き添っておられたご長男さんが診察室から出られる前に「コーヒーを飲んでいただいてありがとうございました。」とにっこり笑って礼を言われたそうだ。

里見先生は考える・・「私はこの時、うれしそうに、また美味しそうに、コーヒーを飲めていただろうか。」と。

このような感性をお持ちの里見先生が過ごされた現場から提示された問題の数々だからこそ、私は「良識の中から出たもの」であると感じる。


個人診療所と言う小さな日々の診察の中でも、なぜこのような人が生活保護を受給?という方もいるし、窓口無料という市町村の助成制度に胡坐をかいて、非常識な時間帯に当然のように受診する人もいる。

本当に必要な部分に、必要なだけの医療費が使われていくことをもっと考えて言っていただきたい。


最後に・・・
とある関係部署に「窓口負担金の未払いの常習犯に対する対応をどのようにしたいいですか?」と問い合わせたことがある。

その方はこのように言われた。「診察を受けるというのは、患者として治療費を支払うという、いわば医師と患者の間で契約を結ぶものです。その契約を守れないのならば、医師も対応を考えてみてもいいのではないですか」と。

ずいぶん斬新なことを話す人もいるものだなあと思ったものである。


しかし現実は医師法の「診療応召義務」などのヴェールをかぶせられるおかげで、目の前に治療を必要としていらした方がいれば、医師は診察をしなければならないと定められている。

現場の医療機関は未払い対応でも四苦八苦している。
モラルの低下で現場の疲弊が相当である事実。その部分を十分に理解していただきたいものだ。

一開業医の妻が声にするにはあまりにも小さい力しかないが、就学前の子供の医療費の窓口負担の無料化については、特に現実問題をよく理解した上で対応を考えていってほしいと願う。

開業医の妻の役割

開業医の妻の役割 2009年07月01日
医院開業セミナーや成功する開業セミナーなどの各種セミナーは、どんどん出席なさるにこしたことがありません。なぜなら、だれも失敗を考えたくないからです。

(ただし、セミナー講師の力量はまちまちですので鵜呑みは禁物です。
さらに建築会社や証券会社、保険会社などの営業が根底にある「業者主催」も多いですので注意は必要です^^)
この私も、開業して3年目くらいまでは「うちほどうまくいっているクリニックはない」「うちほど良いスタッフに恵まれたクリニックはない」と信じて疑いませんでした。(大笑)

しかし、ちょっとした角度の違いが、その延長線を引いた時に大きく方向が違ってしまうものです。
ちょっとしたゆがみやほころびが出た時に、軌道を修正する方法や手段はなかなか語られません。
ですから、実はそのような情報はとても得にくいのです。

だれも失敗は見せたくないですもの・・・。

その「ゆがみ」「ほころび」を感じた時に、すぐさま早期に軌道修正できる力をつけていれば、私もあれほど苦しむことはなかったように思っています。

だからこそ、多くのセミナーでは語らることのないと思われる(?)ことを、経験をもとにした起死回生、七転び八起きの記録として綴っております。


前回の記事でも触れましたが、個人診療所の院長は孤独でもあります。
(前回の記事はこちら → http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi3/2745179.html

勤務医時代の医局やコメディカルとの他愛もない雑談がなくなり、そこに生ずるのは「雇用者と労働者」の関係。

趣味やその他のことを通して、一般社会とつながりを持っておいでの場合はいいのですが、中には一人でこもりたい先生もおいでです。

医師会の交流とて、なかなか本心を打ち明けることはできません。
他からの情報やアドバイスに耳を傾けるという機会が少なくなるのです。

ゴマをする業者の方との交流を好む方もおいでですし、そういうお付き合いしに偏ってしまいがちです。

危ないのは「裸の王様」になっていることに気がつかない場合です。

それであるならば妻が、軌道修正をしていく支え方をするのは大事なことではないでしょうか。

妻の役割として「夫を社会常識のある一人の人間として、心豊かに開業医として育てていく」ことは大きなことだと思うのです。


前回も記事にしましたように「患者さんの健康・命と向き合う診療」と「経営」の両立は難しいのです。

もし借金の保証人として妻がサインをし、印鑑を押したのでしたら、間違いなく妻も経営者としての責任を負うことになります。

それでは具体的にどのように支えていけばいいのでしょう。

その一つとして、ご主人が開業の意思をはっきりさせたら、開業場所を慎重に考えていく感覚を奥様にも持っていただきたいものです。

業者さんが作成してくる診療圏調査の報告書はデータが古くはありませんか?

メインストリートでも交差点で入りにくかったり、中央分離帯があって一方からのみの出入りにはなっていませんか?

近くに集客施設はありますか?

住宅街でも、共稼ぎが多くて日中はほとんど人がいないということはありませんか?

(開業医の妻の本音第1弾記事はこちら→http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/16782257.html

また、報告書に上がってくる「推定患者数」が大風呂敷ではありませんか?

このようなことも多忙な勤務医の先生には考えが及ばないのです。


二つ目は、奥様もできるだけ業者との話し合いに立ち会うことをお勧めします。

なぜなら「べらぼうに高い器械」を「先生クラスの方でしたら、これくらいの性能の器械は必要です」の常套句でついつい手を出してしまうことになりかねないからです。

(我が夫もこれに引っ掛かりそうになり、レントゲン装置を1000万近いものにしそうになりました。)

借金の額はあっという間に膨らみます。

安易にリースを組んでもいいですか?

リース金利は年利何%かご存じですか?銀行の金利より高いのをご存じですか?
(1%高いとしたら、1000万で年10万。7年で70万余計に支払うことになります。)

たとえ妻が直接口を出さないとしても、このような視点を持ち、夫が冷静な頭でいるかどうかの判断はつくでしょう。

妻の存在は貴重です。

三つ目は、患者目線に立ったアメニティ分野や女性スタッフへの気配りなど、妻の目線こそが大事だと思われます。

四つ目は、スタッフの面接には「女の勘」ほど確かなものはないからです。

(詳しくは開業医の妻の本音 第1弾をご参照ください^^ 
 主人が開業を決めた頃のお話 → http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/14348912.html   
   スタッフ採用のお話   → http://blogs.yahoo.co.jp/harenihiamenohi/5338648.html


最近近所に大きなクリニックが開院しました。
開院の挨拶はもちろん、挨拶状1枚すら来ていません。

開業医のご子弟の方ですので、経済的には親の援助があっての開業のように思われますが、患者さんが紹介状を持ってきても当院では「こんなクリニックあったかな?」という会話が生ずるのです。

「あ〜、オープンしたんだ」という認識を持っても、患者さんをご紹介するにも躊躇して別の先生の所にご紹介してしまいます。

奥様が「挨拶に行きましょう」と促して菓子折を準備したり、あるいは近隣医師会の先生あてに挨拶状をお書きになるでけでずいぶん違うのになあと思いつつ、ご立派でモダンなデザインの建物に、患者さんの影がないクリニックの脇の道路を通ることがあります。


そして大事な五つ目です。

医師になる方は基本的に頭の良い方です。
その頭の良い方に、軌道修正をしたり、航海で迷わぬように灯台となって灯を照らし続ける役割が妻にはあると思うのです。

そのため、妻も一般社会常識を身につける心がけが大事なのではないかと思います。

経営者として、夫を支える自分。妻としての自分。母としての自分。
同様に、医師として、開業医として医師として夫に何を望むか。父親として夫として何を望むか。

夫だから、開業医だから経営者だからと、夫の機嫌取りをしてはいけません。
そしてまた、社会に出た時に、奥様、あなたの行動は人に受け入れられていますか?

経営者であるご主人や奥様が社会常識から逸脱しているために、スタッフが離れて行ってしまうケースも多いのです。

いつもわが身を振り返ってみることは大事なことです。

もし、乗り越えることができそうにない問題にぶつかったら、専門の方を探してみるのも時には必要です。合う方に出会うまで、探してみることも大事なことです。


人間としての芯がぶれない強さ。
人から勝負を挑まれても同じ土俵に乗らず、負けることのできる強さ。
あなたご自身が常識ある人間として生活すること。

医師として、社会人としての「心」と本物の「命言葉」を伝える診療ができる夫の支え。

これこそが開業医の妻としての大事な役割ではないでしょうか。